成長するということ
- cou
- 2022年1月16日
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つまりは努力の積み重ね、、、、なの?
だてに何十年も生きてませんから、それなりの知恵も経験もありますし、そこそこ世渡りもできます。しかし、それが人間の成長に繋がるかというと少し疑問です。
人は誰しも何かの職業的なものに従事し、やり続けることでスキルを身に着け、そうやって生きていくことが可能です。要は個人事業主だろうが会社組織の人間だろうが、生きるために何かしらのスキルを身に着ける必要があるのです。
しかし、そうして年齢を重ねていくだけで、それを「成長」というのでしょうか?
「若いのに頭が固い」とか「歳ばかり取ってて~」などという表現は、いわゆる「成長しない」人に向けられた言葉だと思います。誰しもが「成長したくない」とは思わないわけで、傍から見たらそう思えなくとも本人は「成長している」と思っているのかもしれません。
では、何をもって「成長した」といえるのでしょう?
成長の過程は体の変化以外、本人はあまり意識できないものです。つまりは他者から見て初めてわかることだと思います。
半年前までできなかった仕事を楽々こなせるようになった部下を上司は嬉しく思い、「成長したな」と感じるものです。子供に対する親の気持ちも同様です。
歳をとると成長は難しくなります。先ず第一に、できないことがあまり見当たりませんから、それに挑戦しようという機会がありません。字を書いたり、読んだり、電車やバスに乗ったり、何でもできてしまいますから。
つまり、出来ない事ややれそうにない事は、やらないか諦めたかのどちらかなので、残っているのは自分にできる事だけなのです。
若い頃はできた事が出来無くなれば、それは老化です。これは誰も止めることができません。しかし成長し続けることはできます。
成長とは、知識や経験がなくとも、自らが欲することを何度でも体現することで自然と生まれる人間の意識や行動に他なりません。
簡単にいうと「失敗しても諦めない心と行動」です。出来たか、出来なかったかは問題ではありません。何度でもやってみようという気持ちが成長を生むのです。

冷蔵庫の残り物でクランブルケーキを作りました。レシピはありません。すべて勘です。
イメージはできていましたので、それを形にしてみたらイメージ通りにできました。
10年前なら絶対に失敗したであろうと思われる「勘で作る」行為。お勧めはしませんが、自分の成長具合を確かめるには最適かもしれません。これも失敗を重ねながら、諦めずに続けてきた「成長」という結果なのだと思いました。

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